(参考)吉田司家と横綱昇進

横綱審議委員会ができるまでは吉田司家が取り仕切っていました。
相撲の歴史を感じさせるお話です。

吉田司家の起こりは今から770年ほど昔、後鳥羽天皇の時代にさかのぼる。
当時、源平の兵乱もおさまり、天皇は奈良朝以来久しくとだえていた相撲節会(すもうせちえ。毎年7月天皇が宮中に相撲人を集めて相撲大会をご覧になり、宴を開かれた。宮中の大きな行事の一つ。)の再興をはかり、越前の国(今の福井県)から、相撲の故実(古いしきたり)に詳しい吉田家次を呼ばれて、相撲司(すもうのつかさ)に命じたのが始まり。

大相撲追風の号を受けて家次は毎年節会相撲を立派につとめたが、以後その子孫は代々追風の名を継ぎ、第15代追風のときから熊本の細川家に抱えられ、以来朝廷と徳川幕府の保護を受けながら日本の相撲界の総本山として、横綱や立行司の免許や相撲故実の伝授など、特権を持つようになった。
従って相撲協会が横綱にしたい強い力士が出た場合は協会は熊本の吉田司家に免許状下付願いを出し、司家で成績などを検討し、許されるとその力士が協会の代表者と熊本まで行き、司家から横綱免許状と故実伝書及び横綱を授けられるのが慣わしだった。

しかし昭和25年に第24代吉田長善氏が一身上の都合で司家を引退したため、協会と司家の話し合いにより、以来(千代の山のときから後は)横綱は協会が横綱審議委員会に諮問して決め、推挙式の折りに司家が同席して故実と横綱を授けることとなった。
なお故実伝書には横綱の心得ねばならぬ相撲の由来、古いしきたりなどが書いてある。

(1961/10/12 朝日新聞)

吉田司家 - Wikipediaにも詳しい説明があります。

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