横綱の品格について考えてみよう

「横綱の品格」について答えているインタビューを紹介します。

横綱 曙
初土俵からわずか三十場所で登り詰めた角界最高位。いつも「横綱とは何か」と自問している。「日本人の世界で神になること」と曙は言う。古来の神事に由来する相撲。そのグランド・チャンピオンは「神」でなければならない、と思っている。先年引退した木村庄之助ら角界の先輩から教わった心得だ。

土俵入り「横綱になって、街にいけば神様と思われるかと思ったが、そうじゃない。横綱の地位を理解し、そこに近づくよう階段を上っていくことが大事。強さだけでなく、その地位にふさわしくなることは難しい。まだまだ半分も分かっていない」

神様になって悲しいのは、同僚とふざけることが出来ないこと。小錦が後輩を励ますために開いてくれたハワイ力士のパーティーにも行けなくなった。一晩でヘネシー四、五本もいったのが、酔って品格を失うことを恐れ、ボトル一本も空けられなかった。

――横綱と他のスポーツのチャンピオンとは違う?
 「相撲と他のスポーツを比較することは出来ない。例えば、ボクシングではトレーニングを積んで試合に勝って、チャンピオンになる訳だけど、家に帰れば普通の人。しかし、横綱は二十四時間いつも横綱。品格ということがよく言われるでしょ、それが本当に重要。横綱であるということは、自分自身とその地位に対して誇りを持たなくてはいけない。だれもがなれる訳ではないからね。今までに六十四人しかいない」

 ――品格とはどういうこと。
 「キャラクターと、自分自身に対するプライド。ふだんの立ち居振る舞いということも含まれると思う

(1994/1/8 読売新聞 抜粋)

もう1つ、読売新聞の社説を紹介します。
当時、ハワイ出身の大関小錦の横綱昇進がなかなか実現しないのは人種差別があるからなのか、と物議を醸しました。
その後、曙・武蔵丸・朝青龍・白鵬と外国人横綱が誕生しているので、今と当時では社会情勢が異なりますが、品格についての興味深い主張なので掲載します。


 横綱にふさわしい品格とは何か。出羽海理事長は、外国特派員を前に「相撲に精進する気迫、地位や社会に対する責任感」をあげた。言葉はわかるが、品格ある力士の具体像は、容易に浮かんでこない。
 児島氏の外人横綱不要論はまさに、この品格にこだわっている。「国技である相撲は、守礼を基本とする日本の精神文化そのものであり、歴史や言語の違う外国人には理解できない」と言う。
 だが、現実の相撲界を見る時、この論法は、外国人だけに過大な要求をし過ぎた嫌いがある。確かに相撲には、茶道や能と同様、長い伝統の中で磨きあげられた様式美がある。同時に、格闘技でもある。力強さや荒々しさも大きな魅力だ。
 この二つのバランスをとるのは、日本の力士にとっても、容易なことではない。名横綱と言われる人たちも、厳しいけいこの中からそれを体得してきた。
 外国人力士も同じだ。言葉や習慣の違いを乗り越え、厳しいけいこにも耐えて今の地位をつかんだ。そのことが、最高位を望むのにふさわしい品格、力量と言える。

(1992/5/31 読売新聞社説 抜粋)

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